2015年03月10日

セルビア初期のクラシック音楽と交響曲(後編)

http://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-11980310129.html
2015年2月17日

《転載開始》

Миленко Пауновић.jpg


ミレンコ・パウノヴィッチ(1889-1924年)
Миленко Пауновић
Milenko Paunović

1889年11月29日、ノヴィ・センティヴァン(Нови Сентиван)
ハンガリー語:ウーイセンティヴァーン(Újszentiván)生まれ

セルビアの作曲家、劇作家。
セルビアで初めて、音楽劇(ミュージカル・ドラマ, Музичка драма)を書いた作曲家。

1900〜1908年、ヨヴァン・ヨヴァノヴィッチ中高一貫校(Гимназија Јован Јовановић Змај)
のヴァイオリンのクラスで学ぶ。

1909年、プラハ音楽院(Pražská konzervatoř)でヴァイオリンを学び終える。

1909〜1911年、ライプツィヒ音楽院で、マックス・レーガー(Max Reger)に作曲を学び、
同市の大学で、フーゴー・リーマン(Hugo Riemann)の講義に出席する。

1913年、ルマ(Рума)とノヴィ・サド(Нови Сад)の聖歌隊長に就任。

1914、1918〜1920年、
ヤゴディナ男性教員養成大学(Мушке учитељске школе у Јагодини)で教え、
1921〜1922年、スタンコヴィッチ音楽学校(Музичка школа „Станковић“)の教授となる。

1923年、オビリッチ歌謡協会(オビリッチ合唱アカデミー)
Академском певачком друштву Обилић(Академски хор „Обилић“)
に入会。

第一次世界大戦には、従軍してテッサロニキの前線で戦い、
セルビア軍の避難所で芸術活動に積極的に参加した。

1921年、近衛軍楽隊の指揮者となり、軍楽隊の改善を提唱した。

聖サヴァ4等勲章(Ордена Св. Саве IV реда)
ルーマニア王冠5等勲章、
アルバニア記念勲章(Албанска споменица)を授与される。

1924年10月1日、ベオグラードで35歳の若さで急死する。

【主な作品】
・序曲『ユーゴヴィチャの母の死』
Увертира Смрт мајке Југовића
Uvertira Cmrt majke Jugovića
・音楽劇『ディヴィナの悲劇』(1910年)
Музичка драма „Дивина трагоедиа”
Muzička drama „Divina tragoedia”
・ユーゴスラヴィア交響曲第1番(1914〜1920年)
Прва југословенска симфонија
Prva jugoslovenska simfonija
・交響組曲(4楽章)(1921年)
Симфонијска свита
Simfonijska svita
・音楽劇『チェンギッチ=アガ』(1923年)
Музичка драма „Ченгић-ага”
Muzička drama „Čengić-aga”
・ユーゴスラヴィア交響曲第2番(1924年)
Друга југословенска симфонија
Druga jugoslovenska simfonija

【資料】
Миленко Пауновић - Wikipedia Српски / srpski
その他、英語版も参照。

ユーゴスラヴィア交響曲第1番(1914-1920年)
Прва југословенска симфонија
Prva jugoslovenska simfonija
指揮:フランツ・クリナル
Franc Klinar
演奏:ユーゴスラヴィア軍交響楽団
Симфонијски Оркестар Југословенске Народне Армије
Simfonijski Orkestar Jugoslovenske Narodne Armije
※綴りはこれで正しいのかどうか不明ですが、便宜的にこう出しておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=mAMERHXja9I


記事の内容が長くなり過ぎたために分割した記事、
セルビア初期のクラシック音楽と交響曲(前編)
の後半に参ります。

「ユーゴスラヴィア」の名を冠した交響曲があるとは、ちょっと驚きでした。

「ユーゴスラヴィア交響曲」は2曲書いているそうですが、
YouTubeに出ているのは、第1番の方です。

前編でご紹介した、コニョヴィッチの交響曲と似た雰囲気があり、
民族的要素が強く込められた、情感豊かで劇的要素に溢れた作品です。

3楽章制ですが、各楽章それぞれに表題が付いています。

第1楽章(Grave - Allegro moderato)
宵(Вече, Veče)
全体的に悲劇的な要素に支配されていますが、
明るい舞曲風旋律が顔を覗かせるなど、
表情の変化に富んだ民族的旋律に溢れた楽章。
特に冒頭の力強い悲劇的な旋律が印象的。

第2楽章(Allegro)
真夜中の幻視(Поноћне визије, Ponoćne vizije)
力強いが、第1楽章とは打って変わり、明るさに溢れた旋律で、
交響曲には珍しく、木琴が使用されている。

第3楽章(Allegro moderato)
朝(Јутро, Jutro)
希望に満ちたファンファーレ風旋律で始まるが、
緊張感を伴って徐々に盛り上がっていくが、
終盤で第1楽章の冒頭の旋律が再び再現され、力強く幕を閉じる。

(演奏時間:25分ほど)





Јован Пачу.jpg


ヨヴァン・パチュ(1847-1902年)
Јован Пачу
Jovan Paču

主にピアノ曲を書いたそうですが、YouTubeに作品が幾つか出ています。

狂詩曲第8番
Рапсодија бр. 8
Rapsodija br. 8
ピアノ:ドゥブラヴカ・ヨヴィチッチ
Дубравка Јовичић
Dubravka Jovičić
https://www.youtube.com/watch?v=GAWhAc86vhQ


ピアノのための狂詩曲は、少なくとも第8番まであるのは確認できました。

その内の取り敢えず第8番を聴いてみましたが、
ロマンティシズムに溢れていて中々聴き応えありました。

Wikipediaによると、

『セルビア狂詩曲 - 6手2台のピアノのための』(1885年)
Српска рапсодија“ за 2 клавира 6-ручно
"Srpska rapsodija" za 2 klavira 6-ručno, 1885

という曲を書いているそうですが、
今回紹介した曲と同一のものなのかどうかは分かりませんけど、
もし違うのであれば、どんなものなのか聴いてみたいものです。
Јован Пачу - Wikipedia Српски / srpski





Јожеф (Јосиф) Шлезингер.jpg


CD化を希望するマイナークラシック曲(7)セルビア編
でも取り上げた、最も初期のセルビアの作曲家、
ヨジェフ(ヨスィフ)・シュレズィンゲル(1794-1870年)
Јожеф (Јосиф) Шлезингер
Jožef (Josif) Šlezinger

の作品も、YouTubeに出ていました。
ポジャレヴァッツとロシアの行進曲
Пожаревачки и Руски марш
Požarevački i ruski marš
指揮:ヴァンチョ・チャヴダルスキ
Ванчо Чавдарски
Vančo Čavdarski


演奏:ベオグラード放送交響楽団
Симфонијски Оркестар Радио Телевизије Београд
Simfonijski Orkestar Radio Televizije Beograd
https://www.youtube.com/watch?v=t3G2fZhop4Y






「ユーゴヴィチャ」とは?
パウノヴィッチの作品一覧表の所に出ている、
「ユーゴヴィチャ」が気になって調べて見ました。

デヴェット・ユーゴヴィチャ(Девет Југовића)という名前が出てきましたが、
セルビア叙事詩の英雄だそうです。
Девет Југовића - Wikipedia Српски / srpski

日本語で検索すると、サッカー選手の、
ヴラディミル・ユーゴヴィッチ(Владимир Југовић)
くらいしか出てきません。

最初、格変化して語尾に「a」が付いたのかな?と思っていましたが、
「ユーゴヴィッチ」ではなく「ユーゴヴィチャ」が正しい様です。





「チェンギッチ=アガ」とは?
同じく、パウノヴィッチの作品一覧表に出ている、
「チェンギッチ=アガ」についても調べてみました。

Wikipedia英語版によると、フルネームは、
スマイル=アガ・チェンギッチ(Смаил-ага Ченгић, Smail-aga Čengić)
といい、生年は1788年で、没年は1840年。

オスマン帝国軍の軍人で、
第一次セルビア蜂起(Српска револуција, 1804-1813)
(1809年から参加)や、
ボスニア蜂起(Велики босански устанак, 1831-2)
などの戦闘に参加。

しかし、1840年に、ドロブニャク公(Дробњаци)である、
ノヴィツァ・ツェロヴィッチ(Новица Цepoвић, 1805-1895)
により殺されてしまったそうです。
Smail-aga Čengić - Wikipedia English

「ドロブニャク」(Дробњак)とは、
ヘルツェゴヴィナからモンテネグロ北部の辺りを現す歴史的地名の様です。
Дробњак - Wikipedia Српски / srpski

クロアチアの詩人で政治家の、
イヴァン・マジュラニッチ(Иван Мажуранић, 1814-1890)により、
チェンギッチを題材にした叙事詩
『スマイル=アガ・チェンギッチの死』(1846年)
(Смрт Смаил-аге Ченгића)
が書かれているそうです。
マジュラニッチ - コトバンク

「アガ」(aga)には、「親分」「旦那」「首領」などの意味があるそうです。
http://homepage3.nifty.com/bar-kazu/fd-data/7178.html

《転載終了》
posted by Satos72 | ┌ セルビア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする