2015年07月27日

クラシック音楽 女性作曲家列伝!! - その1

http://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-12026716290.html
2015年7月25日

《転載開始》

女性のクラシック音楽の作曲家だけを集めてみました。

ちょっと手抜き気味な記事かも知れませんが・・・。

いずれ、個別に詳細な紹介記事でも書ければ、と思います。

因みに、クララ・シューマンや、
テクラ・ボンダジェフスカ(バダジェフスカ)、
ファニー・メンデルスゾーン等といった、
有名な女性作曲家は除いています。

それでは、古い順から紹介して行きます。
(特に説明が無い画像は、Wikipediaからのものです)





Louise Farrenc.jpg

ルイーズ・ファランク(1804-1875)
Louise Farrenc

フランスのパリ生まれ。
パリ音楽院(Conservatoire de Paris)
で女性として初めて教授職に就任し、
1861年と1869年に管絃楽曲に対して
フランス学士院(Institut de France)より
シャルティエ賞(Prix Chartier)を授与された。
ルイーズ・ファランク - Wikipedia

交響曲第3番ト短調(1847年)
Symphonie en sol mineur, op. 36
https://www.youtube.com/watch?v=4ZeYHeXnNdo






Louise-Angélique Bertin.jpg

ルイーズ=アンジェリーク・ベルタン(1805-1877)
Louise-Angélique Bertin

フランスのエソンヌ(Essonne)生まれ。
ヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo)の小説、
「ノートルダム・ドゥ・パリ」(Notre-Dame de Paris)を基にしたオペラ
『ラ・エスメラルダ』(La Esmeralda, 1836年)を作曲。
Louise Bertin - Wikipedia Français

歌劇『ラ・エスメラルダ』(1836年)
La Esmeralda - opera
https://www.youtube.com/watch?v=aI8ZZEFek6Y






Emilie Luise Friderica Mayer.jpg

エミリー・ルイゼ・フリデリカ・マイヤー(1812-1883)
Emilie Luise Friderica Mayer

ドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン、フリートラント
(Friedland, Mecklenburg-Vorpommern)生まれ。
多作家で、8つの交響曲、15もの演奏会用序曲、
その他、数多くの室内楽曲、歌曲を作曲。
Emilie Mayer - Wikipedia English

交響曲第7番ヘ短調(1856年)
Sinfonie Nr. 7 in f-Moll
https://www.youtube.com/watch?v=3GaUyM8gr_Q






Pauline García-Viardot.jpg

ポーリーヌ・ガルスィア=ヴィアルド(1821-1910)
Pauline García-Viardot

フランスのパリ生まれの声楽家、スペイン系。
姉のマリア・マリブラン(Maria Malibran)とは違い、
一流の声質とは言えず、美貌でも無かったが、
パリ・イタリア劇場の監督ルイ・ヴィアルドと結婚するも、
彼女にのぼせ上がった崇拝者の影は消える事は無かった。

特に、ロシアの作家ツルゲーネフは、彼女を追ってロシアを去り、
執事さながらにヴィアルド家に上がり込み、
ヴィアルド夫妻の4人の子供を我が子同然に可愛がり、
亡くなるまでポーリーヌの崇拝者であり続けた。

マイヤベーアの歌劇《預言者》のフィデ役は、
ポーリーヌ・ヴィアルドのために創られている。
ヨハネス・ブラームスの《アルト・ラプソディ》の世界初演で
コントラルトとして舞台に上ったのも彼女であった。

作曲家を自認することはなかったが、
それでもかなりの数の作品を遺しており、
後にオペラ界から引退してからは、
歌劇『最後の魔法使い』(Le dernier sorcier)を作曲している。
ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド - Wikipedia

歌劇『最後の魔法使い』(1867年初演)より
Le dernier sorcier
https://www.youtube.com/watch?v=kFVoazekSbs






Alice Mary Smith.jpg

※画像はMusical Musingsより拝借

アリス・メアリ・スミス(1839-1884)
Alice Mary Smith

イギリスのロンドン生まれ。
王立音楽アカデミー(Royal Academy of Music)で学ぶ。

1867年に結婚し、アリス・メアリ・メドウズ=ホワイト
(Alice Mary Meadows-White)となる。
同年11月に、ロイヤル・フィルハーモニー協会
(Royal Philharmonic Society)の女性正会員に、
1884年に王立音楽アカデミーの名誉会員に選ばれる。
これによって自作を演奏してもらえるようになった。

多作家で、交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ四重奏曲、カンタータ等を書く。
アリス・メアリ・スミス - Wikipedia

交響曲ハ短調(1864年)
Symphony in C-minor
https://www.youtube.com/watch?v=dAHwGeDrs9c






Elfrida Andrée.jpg

※画像はALL MUSICより拝借

エルフリーダ・アンドレー(1841-1929)
Elfrida Andrée

スウェーデンのヴィスビュー(Visby)生まれ。
ルードヴィグ・ヌールマン(Ludvig Norman)と
ニルス・ゲーゼ(Niels W Gade)に師事。

スウェーデンにおける女性解放運動の活動家であり、
スカンジナビア諸国で最初に公式の女性オルガニストに就任した。

1861年にストックホルムで音楽活動を開始し、
1867年にはイェーテボリ大聖堂(Göteborgs domkyrka)
のオルガニストに就任する(Wiki日本語版では「1861年」と誤記)。

長年の貢献に対して、スウェーデン王立音楽アカデミー
(Kungliga Musikaliska Akademien)の一員に迎えられた。

作品には、交響曲を含む管弦楽曲、室内楽曲、歌曲、
『スウェーデン・ミサ曲』(Svensk Mässa, 第1番 1902年, 第2番 1903年)
歌劇『フリチョフの神話』(Fritjofs saga, opera, 1899年)
などがあるが、
『オルガン交響曲』(Orgelsymfoni, 第1番 1891年, 第2番 1892年)
は今でも演奏されている。
エルフリーダ・アンドレー - Wikipedia

オルガン交響曲第2番変ホ長調 - オルガンと吹奏楽のための(1892年)
Orgelsymfoni nr 2 i Ess-dur för orgel och mässingsinstrument
https://www.youtube.com/watch?v=5w_BfXxmnIc






Helena Munktell.jpg

※画像はSterling(CD)の解説書より拝借

ヘレーナ・ムンクテル(1852-1919)
Helena Munktell

スウェーデンのグリュックスボー(Grycksbo)生まれ。
ストックホルム音楽院(Musikkonservatoriet i Stockholm)で学ぶ。

1870年、声楽とピアノを学ぶため、ウィーン、イタリア、スイスに留学。
1877年、フランスのパリで、
バンジャマン・ゴダール(Benjamin Godard)と、
ヴァンサン・ダンディ(Vincent d'Indy)に師事。

1885年、スウェーデンで作曲家として活動し始める。

フランス音楽の影響を受けており、
ロマン派に印象派が加味された様な作風で、
色彩的な管弦楽法が特徴的。

また、主に民謡からインスピレーションを受けて作曲していた上に、
『ダーラナ組曲』(Dalasvit op 22, 1910年)という、
ダーラナ地方の民俗音楽に基づいた作品も書いているので、
スウェーデン国民楽派の作曲家と見做す事ができるかも知れない。

交響詩、管弦楽のための組曲、室内楽曲、歌曲、合唱曲などを作曲。
歌劇『フィレンツェにて』(I Firenze, opera, 1889年)は、
スウェーデンの女性作曲家によって初めて書かれたオペラである。
Helena Munktell - Wikipedia Svenska

歌曲『東の夜』
Österns natt
https://www.youtube.com/watch?v=yFIDZhWUVtM






Amy Beach.jpg

エイミー・マースィー・チェニー・ビーチ(1867-1944)
Amy Marcy Cheney Beach

アメリカ合衆国のニューハンプシャー州ヘニカー(Henniker)
生まれの作曲家、ピアニスト。

幼少期より神童ぶりを発揮し、4歳より作曲や即興演奏を開始。
6歳より、ピアニストであった(結婚によって断念する)厳格な母より、
ピアノの手ほどきを受ける。

1885年にボストンの外科医ヘンリー・ビーチ博士に後妻として娶られる。

ビーチ博士は、エイミーの才能が、
ピアニストとしての活動よりも、作曲にあると確信しており、
作曲家としてたゆまぬ活動を続けるように説得し、応援し続けた。
(ビーチ博士は、エイミーに一切家事をさせなかったという)

色彩的な管弦楽法や流麗な転調、
魅力的な旋律美と情熱的な表現などが特徴。

音を聴くと色彩を感じる「共感覚」の持ち主だったという。

代表作は、
交響曲ホ短調『ゲール風』(Symphony in E minor "Gaelic", 1894-1896年)
ピアノ協奏曲嬰ハ短調(Piano Concerto in C-sharp Minor, 1898年)
その他、室内オペラ『参事会会議場』(Cabildo, opera, 1932年)、
交響的ミサ曲変ホ長調(Mass in E-flat major, 1892年)、
ピアノ曲、声楽曲、合唱曲などを作曲。
エイミー・ビーチ - Wikipedia

交響曲ホ短調『ゲール風』(1894-1896年)
Gaelic Symphony
https://www.youtube.com/watch?v=KW-ZlvQQVgk






Johanna Senfter.jpg

※画像はYouTubeより拝借

ヨハンナ・ゼンフター(1879-1961)
Johanna Senfter

ドイツのオッペンハイム(Oppenheim)生まれ。

1895年から、ホッホ音楽院(Hoch'schen Konservatorium)で、
作曲、ピアノ、ヴァイオリンを学ぶ。

1908〜1910年、ライプツィヒでマックス・レーガーの薫陶を受ける。
1922年に地元オッペンハイムにバッハ合唱団を創設した。

初期には、
フレデリック・ショパンやローベルト・シューマンの影響を受け、
繊細洒脱な性格的小品を作曲したが、
レーガーに出逢ってからはその圧倒的な影響を受け、
重厚で入り組んだテクスチュアと、
極端な半音階技法や奔放な和声法を特徴とする
恩師の作風を受け継いだ。

全部で134作品を残しており、そのうち26の管弦楽曲、
9つの交響曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、
ヴィオラ協奏曲、チェロ協奏曲、ピアノ曲、室内楽曲を遺した。
ヨハンナ・ゼンフター - Wikipedia

交響曲第4番(1930年)
Sinfonie Nr. 4 op. 50
https://www.youtube.com/watch?v=UU4em2LFDNI






記事が長くなり過ぎるため、記事を分割しました。

後半にご期待ください。

《転載終了》
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2015年07月19日

インドジフ・カーン(Jindřich Kàan)チェコの作曲家

http://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-11648414945.html
2013年10月23日

《転載開始》

Jindřich Kàan z Albestů.jpg


《フルネーム》
インドジフ・カーン・ズ・アルベストゥー
Jindřich Kàan z Albestů

チェコの作曲家、音楽教師。
1852年5月29日、タルノーポリ(Tarnopol)生まれ(当時はオーストリア領)
現在:ウクライナのテルノーピリ(Тернопіль)

ハンガリー貴族の血を引いている。

プラハ音楽院(Pražská konzervatoř)で、ヴィレーム・ブロデク(Vilém Blodek)に学ぶ。

1873年、
フランチシェク・ズデニェク・スクヘルスキー(František Zdeněk Skuherský)
の運営する、プラハオルガン学校(Varhanická škola v Praze)で、
理論と実践を学び、作曲を始める。

1876年から8年間、
ラーニ城(Zámek Lány)のフュルステンベルク家(Fürstenberg)で音楽の家庭教師を行い、
また、ピアノの演奏会に、オーストリアのルドルフ皇太子も鑑賞に訪れるなど、
貴族界からの好評を得る。

1884年、プラハのミェシュチャンスカー・ベセダ(Měšťanská beseda)
で演奏会を開催し、好評を博す。

1889年、プラハ音楽院のピアノの教授に就任。

1901年、室内楽の教師となる。

カレル・ホフマイスター(Karel Hoffmeister)は、カーンからピアノを学んでいる。

1907年、カレル・クニットル(Karel Knittl)の死去により、
プラハ音楽院の音楽監督の地位を引き継ぐ。

1909年、通常授業に加えて、上級クラスを設けるが、
オーストリア財務省の圧力により閉鎖。
また、その厳格さのために反感を多く受けたため、
1918年のチェコスロヴァキア独立の後、音楽監督を辞任する。

1926年3月7日、ロウドナー(Roudná)にて没する。

【主な作品】
・歌劇『難民』
Der Flüchtling - oper
・歌劇『ジェルミナール』
Gérminal - opéra
・バレエ音楽『バヤヤ』(1897)
Bajaja - balet
・バレエ音楽『オリム』(1904)
Olim - balet
・交響詩『シャクンタラー』
Šakuntalá(Śakuntalā) - symfonická báseň
・ピアノ協奏曲
Klavírní koncert(Koncert pro klavír a orchestr)
その他、室内楽、声楽曲、チェコ伝承曲のピアノアレンジなど

【資料】
Jindřich Kàan z Albestů - Wikipedia Čeština
http://www.musiklexikon.ac.at/ml/musik_K/Kaan_Familie.xml

バレエ音楽『バヤヤ』より、マズルカ(Mazurka)
http://www.youtube.com/watch?v=f4KYn6Y3At4


9月12日に、YouTube内を適当に閲覧していたところ、
インドジフ・カーンのバレエ音楽『バヤヤ』が上げられているのを発見。
早速、Twitterで紹介。
https://twitter.com/OtsukaSatoru/status/378148611428589568

インドジフ・カーンそのものもこの時初めて知ったのですが、
「バヤヤとは何ぞや?」と思って調べてみると、チェコの民話(伝説)だそうですが、
チェコアニメ界の巨匠、イジー・トルンカ(Jiří Trnka)が、
1950年に、『バヤヤ』の長編の人形アニメーションを制作している事を知る。

トルンカの名前はずっと以前から知っていましたが、
チェコのアートアニメは「メジャー」というイメージを抱いていたため、
余り積極的に目を向けていませんでした。
アニメーション史等の文献で「バヤヤ」の名前は目にしている筈ですけど、
多分憶えられなかったという事でしょう。

奇遇にも、それからそんなに日数が経っていないにもかかわらず、
吉祥寺バウスシアターで『Best of チェコアニメ映画祭』
が開催されるという事を知り、そのプログラムに『バヤヤ』も組まれていました。

これには驚きでした。

で、早速鑑賞しました。
タイミングが良すぎです。

BGMがオペラ調であるため、クラシック音楽好きの私はその意味でも愉しめました。

しかし残念なんですが、もう「バヤヤ」の上映プログラムは終了しております。
『Best of チェコアニメ映画祭』そのものは、11月まで続いており、
現在は、別プログラムが上映されています。
http://www.baustheater.com/joeichu.htm#c_anime

「バヤヤ」上映の初日に鑑賞し、この記事中に
「バヤヤはまだ○○日までやっておりますので、宜しければご覧下さい」
みたいな事を書けば良かったのかも知れませんけど、
その時は仕事その他で多忙だったため、無理でした。

これを書いている23日現在、
長編人形アニメ『チェコの古代伝説』(Staré pověsti české, 1952)
という、『バヤヤ』と並ぶトルンカの代表作が25日まで上映中。
これも見に行こうと思っています。



◎『バヤヤ』のお話(途中まで)
父と二人で暮らす貧しい青年バヤヤは、
ある夜、白馬が家の近くにいるのに気付く。

実はそれは、母の化身であった。

バヤヤは、母の化身である白馬に飛び乗り、旅をする事にした。

丁度その頃、お城では王様が、邪悪な龍に、
「おまえの一番大切なものを差し出せ」と脅されていた。

大事な3人の姫を差し出す様に脅された王様は、
塞ぎ込んでしまった。

バヤヤは、貧しい吟遊詩人に化けて宮廷に入り込むが、
姫が龍に差し出されようとする時に騎士の姿で現われ、龍を退治する。

助けられた姫たちは、騎士の姿のバヤヤに憧れるものの、
吟遊詩人姿のバヤヤが同じ人である事に気づかず、バカにし、
求婚を突っぱねてしまう・・・。

Bajaja 1950.jpg




身なりや身分で人を判断してはいけない教訓を感じる中々のお話でしたが、
母が何故白馬になったのか?
また、母の理不尽な最期も気になりました。
いつまでも親に頼ってはいけないという暗喩?



◎他の作曲家による『シャクンタラー』のクラシック音楽作品
「シャクンタラー」(शकुन्‍तला, Śakuntalā)とは、
インドの叙事詩『マハーバーラタ』(महाभारत, Mahābhārata)
に登場する女性の名前。
シャクンタラー(Wikipedia)

フランツ・シューベルト(Franz Schubert)が、
オペラ『シャクンタラー』(Sakuntala D.701)を、
1820年に書いているそうですが、
Wikipediaによると、2幕分のスケッチに留まっているそうです。
でも、何故か音源があります。
誰かがそのスケッチを元に、オーケストレーションでも施したのでしょうか?
http://ml.naxos.jp/work/254173

カール・ゴルトマルク(Karl Goldmark)が、
演奏会用序曲『シャクンタラー』(Sakuntala Ouvertüre, op.13)を、
1865年に書いています。

フレデリック・ディーリアス(Frederick Delius)が、
テノール独唱と管弦楽のための『シャクンタラー』
(Sakuntala for Tenor and Orchestra)を、
1889年に書いています。

フランコ・アルファーノ(Franco Alfano)が、
オペラ『シャクンタラー伝説』(La leggenda di Sakuntala)を、
1921年に書いています。

インドジフ・カーンの、交響詩『シャクンタラー』を是非とも聴いてみたいです。



◎コール・ミレニアム オーケストラ・ナデージダ合同特別演奏会
鑑賞記
去る、10月13日に行われた演奏会、とても愉しめました。

スターウォーズにでも使えそうな爆裂的な『アゼルバイジャン奇想曲』(アミロフ)は、
是非とも生で聴いてみたいと思っていました。

無名の『ギュリサーラ序曲』(グリエール)は、私的に今回の目玉でしたが、
内容の豊かさや迫力ある表現が、とても聴き応えアリでした。
若干長いと感じましたが、「退屈」という意味ではなく、深い、という意味で。

その一方、『ポーロヴェツ人の歌と踊り』(ボロディン)は、有名で定番ながら、
いつ聴いてもその深い魅力に聴き惚れてしまう。

交響曲第2番『讃歌』(メンデルスゾーン)は、
有名作曲家による余り演奏機会のない曲ですが、
冒頭を初め、全編を通して顔を出す主題が、妙に『聞け万国の労働者』や
『箱根八里』に似ているため、聞いている途中で空耳の如くそれらの曲が
頭に湧いてきました。困ったものです。

いずれにしても、それらの曲を、
レベルの高い演奏技術に拠る素晴らしい演奏で愉しませてくれました。

また、小うるさい腕白少年がいて、会場時間が待てず騒いでいて、
係の人を困らせていました。

その子、よりによって私の座席の斜め後で、季節の変り目のせいなのか、
咳をしていて、音楽鑑賞がちょっと邪魔されました。
全ホールに声が響いておりました。

一瞬ロシア語を喋ったので、ロシア系の子らしい。
通りで、顔立ちが整っていました。日露二ヶ国語喋れるのでしょうね。

後半は、私の後に白人夫婦が座ったのですが、ドイツ語を喋っていました。
メンデルスゾーンの曲に合わせて来たようです。

そして例の少年は、親許に行ったようです。

前半は、ロシア系(ウクライナのグリエールも含む)の曲でしたが、
後半は、メンデルスゾーンの『讃歌』(ドイツ語の歌詞)。

偶然とはいえ、示唆的な状況が面白かったです。

最後のアンコールを、声楽付きの『フィンランディア』で締めくくったのも、
とても良かったです(如何にもハッピーエンドという感じで、
締めくくりに最適な曲ではないかと思います)。

《転載終了》
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2015年07月12日

ブルール・ベックマン(Bror Beckman)スウェーデンの作曲家

http://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-11610464049.html
2013年11月20日

《転載開始》
Bror Beckman.jpg


画像は、Wikipediaより拝借。

スウェーデンの作曲家、音楽教師
1866年2月10日、クリスティーネハムン(Kristinehamn)生まれ

ヨハン・リンデグレン(Johan Lindegren)と、
ユリウス・バッゲ(Julius Bagge)に学ぶ。

1890〜1902年、ストックホルム音楽大学(Stockholms musikinstitut)で、
和声、対位法、作曲を教える。

1904年、スウェーデン王立音楽アカデミー(Kungliga Musikaliska Akademien)
の会員に選出される。

1910〜1929年、ストックホルム音楽大学の音楽監督に就任する。

1915年より、王立国民学校(Kungliga folkskole)と、
文法学校(=グラマースクール)取締役会(Läroverksöverstyrelsen)の、
音楽コンサルタント(Musikkonsulent)を行う。

1929年7月22日、リュングスキレ(Ljungskile)にて死去。



【主な作品】
・夏の夜(弦楽オーケストラのための)(1890)
Sommarnatt, för stråkorkester
・交響曲へ長調(1895)
Symfoni F-dur
・『幸運な騎士』のための音楽(作:ハラール・モランデル)(1900)
Musik till En lyckoriddare(Harald Molander)
・交響詩『幸福の中で』(1902)
Om lyckan, symfonisk dikt
・ピアノ曲『庭の花』
Örtagårdsblomster, för piano
・ピアノ曲『弦の遊び』
Strangaspel, för piano, op.12
・歌曲『川の歌』
Flodsånger, Solosånger

【資料】
http://sv.wikipedia.org/wiki/Bror_Beckman



交響曲ヘ長調(Symfoni, F-dur)1895年
指揮:イェラン・W・ニルソン(Göran W. Nilsson)
演奏:イェーテボリ交響楽団(Göteborgs symfoniker)
http://www.youtube.com/watch?v=c4pNfjJxgPc


交響曲は、如何にも北欧的清澄さに溢れた透き通った空気という感じで、
ノルウェーの作曲家、ヨハン・スヴェンセン(Johan Svendsen)辺りを彷彿とさせます。

幸福感に溢れた、ファンファーレ的な第1楽章。
第2楽章は、瞑想的で牧歌的な旋律が美しく、時折感傷的旋律も現われる。
第3楽章は、如何にも雪の中をソリを滑らしている様な旋律で始まる、
幻想的なワルツといった感じの曲。
第4楽章は、力強く躍動感に溢れています。
途中でファンファーレ風に高鳴る箇所は印象的。

ほぼ同時期に書かれたスウェーデンの交響曲と言えば、
ヒューゴ・アルヴェーン(Hugo Alfvén)の
第1番(1897)と、第2番(1898-1899)がありますね。



◎CD化状況
『主な作品』にもあるピアノ曲『庭の花』(Örtagårdsblomster)は、
7人のスウェーデンの作曲家によるピアノ曲の作品集CDに収録されているそうです。
【PSCD715】
http://www.nordicsound.jp/newsletter/newsletters/newsletter39.htm

12月17日に、アコーディオンのための作品集CDが、日本で発売されるそうです。
元は、ハルモニウム(ハーモニウム)のための作品だそうです。
ズィークフリート・カルク=エーレルト(Sigfrid Karg-Elert)とのカップリング。
演奏は、ヘルムート・C・ヤーコプス(Helmut C.Jacobs)。
↓実は、日本で発売される前に、CDを手に入れて、
レビューを書いている方がおられました。
http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi3/article/345/
http://tower.jp/item/3340113/Clouds-Poems---B-Beckman,-S-Karg-Elert
【ES2041】



◎「幸運な騎士」(En lyckoriddare)について
検索して調べてみた所、ハラール・モランデル(Harald Molander, 1858-1900)
http://sv.wikipedia.org/wiki/Harald_Molander_(f%C3%B6rfattare)
というスウェーデンの作家によって作られていますが、
1921年に映画化もされているそうです。
http://sv.wikipedia.org/wiki/En_lyckoriddare
で、実は、グレタ・ガルボ(Greta Garbo)が
この映画にエキストラ出演しているそうですが、
クレジットされていない上に、フィルムも現存していないそうです。
グレタ・ガルボ - Wikipedia
映画の一場面を撮影した写真は残されているようで、
ネットの画像検索ではそれと思われるものが幾つか出てきます。
http://www.teatersargasso.se/tora/stum/stumlycko.htm



◎東京ニューシティ管弦楽団第91回定期演奏会鑑賞記


去る16日、東京芸術劇場へ足を運んで参りました。
『フィンランディア完全版』目当てで。

実は、フィンランディアの楽譜は、誤記にまみれた不完全極まるものだそうで、
今まで演奏してきた指揮者達は、「多分こうだろう」と自分なりに修正を施して、
演奏してきたそうなのです(知らなかった!!)。
それを、今回指揮をなさった内藤彰さんが直々に修正したものを、
今回「完全版」として演奏したわけです。

そうなってしまったわけは、シベリウスが自筆譜を紛失してしまったものの、
かろうじてパート譜が残されており、それを元に復元したそうですが、
練習中に指揮者から受けた指示や注意を、
奏者がパート譜に書き込みしていたその内容が、
聞き間違えなのか誤った内容だったりして、
また、シベリウス自身による独特の記譜の“癖”というのもあったそうで、
それを知らず写譜師が誤って記譜したり、楽譜の出版に際しては、
シベリウスが国外にいて楽譜の修正にまともに立ち会えなかったのでは無いか?
等とされているそうです。

で、今回完全版を作成するにあたり、1905年にピアノ版として出版されたものを、
参考にしたそうです。
フィンランディアに関して最終的にシベリウスが関わったものがこの作品だから、
ピアノ版とはいえ、完成形だと見做したそうです。

また、作曲年など、その他にもフィンランディアについての今までの情報に
誤りが見つかったとの事で、これって大事件じゃ?

実際聴いてみた感想ですが、まず、
冒頭部の重苦しい序奏に於けるティンパニの印象がかなり変わり、
メリハリを感じましたし、冒頭の呻吟が「Allegro moderato」に移行し、
ティンパニのトレモロとチューバと弦低音部が数小節平坦に続く箇所が、
完全版では音量に変化が付けられ、より表情が豊かになった事で、
通常版よりスッキリした感はありました。

その演奏の前には、劇付随音楽版、つまり、フィンランディアの原形版や、
パリ万博(1900年)公演時のバージョン違いのコーダ(終結部)も、
抜粋の形で演奏されました。

パリ万博版では、コーダに『讃歌』の旋律が、
金管を中心とした全奏で力強く再現されていますし、原形版では、
これまた違った終結部で、個人的にはそっちの方が良いと感じました。

コーダ手前の上昇する音形(192〜194小節辺り)は、
最初はもっとゆっくりしていたそうで(4分音符が2分音符だったそうです)、
その分2小節長かったそう。

また、冒頭の重苦しい序奏は、当初は蒸気機関車をイメージしていて、
もっと速いテンポだったのだとか(躍動的です)。

それらも抜粋で演奏され、
通常聴けない貴重なものを聴けたのが良い経験でした。

その他は、「ヴァイオリン協奏曲」と「交響曲第2番」という、定番中の定番ですが、
高い技術による演奏は感動ものでした。
(ヴァイオリン独奏は、清水高師さん)
http://www.yamaha.co.jp/ongakukiji/news.php?no=14588

《転載終了》
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