2018年07月01日

オスカル・メリカント(Oskar Merikanto)を聴く(YouTubeから)

https://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-10254194593.html
2009年5月4日

《転載開始》

Oskar_Merikanto.gif
オスカル・メリカント - Wikipedia
 
オスカル・メリカント
Oskar Merikanto(1868-1924)
 
フィンランドの作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者。
3つの歌劇も書いたが、
ピアノ曲や歌曲などの小規模の作品や合唱曲が大半である。
生前フィンランド国内では、
シベリウスよりもメリカントの方が人気があったという。
息子『アーッレ・メリカント』(Aarre Merikanto)も作曲家。
 
北欧系国民楽派ということで、私的には思いっきり”ツボ”なのですが、
メリカントは殆どがピアノ曲や声楽曲で占められているので、
主にオーケストラ作品が好きな私は余り聴こうとはしなかった。
でも、聴いてみれば、大変分かりやすく親しみやすい作風であるのが分かる。
 
悲しみ(Alakuloisuus)(Wehmut)
ソプラノ:エミリ・ロスィエル(Emili Losier)
ピアノ:エリーサ・スニ(Eliisa Suni)

夏の夜の牧歌と行進曲(Kesaillan idylli, Marssi Op.16)1900年頃
ピアノ:フィリップ・スィアー(Phillip Sear)

【追記】
肖像画像追加(2018/7/5)
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2018年06月17日

メキシコクラシック音楽の世界

https://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-10258088403.html
2009年5月10日

《転載開始》

南米のクラシック音楽というと、
エイトル・ヴィラ=ロボス
(Heitor Villa-Lobos)
カルロス・チャベス
(Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramírez)
アルベルト・ヒナステラ(ジナステーラ)
(Alberto Evaristo Ginastera)
アストル・ピアソラ
(Astor Piazzolla)
ロドルフォ・アルフテル
(Rodolfo Halffter)
位しかよく知られていない気がします。
でも、調べればもっといっぱいあるのです。

以前も、
リカルド・カストロ
(Ricardo Rafael de la Santísima Trinidad Castro Herrera)
カルロス・ゴメス
(Antônio Carlos Gomes)
アレシャンドリ・レヴィ
(Alexandre Levy)
エルネスト・ジュリオ・ジ・ナザレ
(Ernesto Julio de Nazareth)
アウベルト・ネポムセノ
(Alberto Nepomuceno)
ホセ・マリア・ポンセ・デ・レオン
(José María Ponce de León)
アルトゥロ・ベルッティ
(Arturo Berutti)
サトゥルニノ・ベロン
(Saturnino Berón)
などを軽く紹介しました。
で、今回は、メキシコに的を絞ってみました。
ではいきます。
 
ウアパンゴ(1941)
Huapango
ホセ・パブロ・モンカジョ・ガルスィア
(José Pablo Moncayo García, 1912-1958)
グアダラハラ(Guadalajara)生まれ。
メキシコシティー(Ciudad de México)歿。
ブラス・ガリンド(Blas Galindo)、
サルバドール・コントレラス(Salvador Contreras)、
ダニエル・アジャラ(Daniel Ayala)らと、
『メキシコ国民楽派』の理念の下に『メキシコ4人組』を結成した。
所謂『ロシア5人組』や『フランス6人組』らを意識したとされる。
さて、この『ウアパンゴ』だが、モンカジョの代表作であるのみならず、
メキシコクラシック音楽を代表する管弦楽曲でもあるようで、
オムニバスのメキシコオーケストラ作品集CDでは、
大抵一番最初のトラックにこれが来ていたりする。
NAXOS 8.550838 とか)
メキシコクラシック音楽のスタイルの、
一つの典型を示した重要作であるのは間違いないと思う。
ベルギーでいうところの、
ヤン・ブロックスの『5つのフランダース舞曲集』みたいな。
ミュージカルとか、
ジャングルを舞台にしたディズニーアニメにでも出てきそうな雰囲気の、
陽気で楽しい管弦楽曲!!
或る決まった拍子に、
それとは違う拍子をぶつける変拍子的処理部分が、
如何にもメキシコ!!という感じに思った。
 
交響的前奏曲
Preludio Sinfónico
アルフレド・カラスコ(Alfredo Carrasco, 1875-1945)>
スィナロア州クリアカン(Cliacán Sinaloa)生まれ
メキシコシティ(Ciudad de México)歿
オルガニスト、教師。
主にピアノ曲を作曲したが、ミサ曲や歌劇も作曲した。
代表作は、ピアノ曲『さようなら』(Adiós)。
ピアノ曲の収録されたCDは結構出ている。
『交響的前奏曲』についてだが、
メキシコロマン派クラシック音楽としては
早い時期の作曲家なだけあるためか、
ロマン派の枠内に留まっている。
しかし、非常に聴き応えあると私は感じた。
如何にも、黄金期のハリウッドの恋愛映画音楽を
ちょっと荒削りでもしたような感じ?
というか、実際に使われているんじゃないの?という
”音のデジャヴュ”っぽい感じ。
ゆったりとしたテンポで優雅だが、起伏が激しく表情が豊かだ。
フルートによる自己主張が、如何にもミュージカル音楽っぽい?
 
序曲「孤児」
Obertura ”La Huerfanita”
ホセ・マリア・チャベス
(José María Chávez)
ヴァイオリニスト、指揮者、作曲家。
ライナーノートでは、生没年が不詳らしく、「19世紀」と書かれている。
19世紀半ば頃に活躍したようだ。
1844年、『聖アナ大歌劇場』(El Gran Teatro de Santa Anna)
こけら落としコンサートに参加。
『序曲”孤児”』についてだが、
『序奏』は少し前期ロマン派っぽく感じたけど、
第1主題は思いっきり古典派の作風。
その後、古典派的なメロディが最後まで続く。
とはいうものの、只の古典派という感じではなく、
少しロマン派的要素を感じる古典派音楽だなあと感じた。
19世紀初頭辺りの古典派というか、そんな感じ?
でも、19世紀中盤で古典派の作風は、いくら何でも時代遅れ過ぎ!!
その頃のメキシコ社交界の音楽シーンはそんな感じだったのだろうか?
よく分かりません。
 
舞曲第4番
Danzón No.4
アルトゥロ・マルケス
(Arturo Márquez, 1950-)
ソノラ州アラモス(Alamos Sonora)生まれ
現在も活躍中の作家。
音楽家の家に生まれ、メキシコシティーやパリで学ぶ。
ジャズやアンデス、キューバ、
アフリカ等の音楽の影響を受けているらしい。
『舞曲第4番』を聴いてみたが、
一言で言えば、ピアソラを思わせる作風だった。
表情豊かで起伏に富んだ、
内容に深みを感じるオーケストラ・タンゴといったところか?
ラテンの情熱のほとばしりを感じる!!
ピアノまで動員されていて、特にそれがいい。
 
メヌエット
Minueto Opus póstumo
リカルド・カストロ・エレラ
(Ricardo Castro Herrera, 1864-1907)
ドゥランゴ(Durango)生まれ
メキシコシティ(Ciudad de México)歿
メキシコで最も成功したピアニスト。
メキシコクラシックロマン派初期の作曲家として重要な存在。
作品は、ピアノ曲、室内楽曲、交響曲、交響詩、チェロ協奏曲、
ピアノ協奏曲、歌劇など、幅広い。
『メヌエット』についてだが、
上品なサロン風音楽といった雰囲気の管弦楽ワルツ。
リカルド・カストロは残念ながら、アルフレド・カラスコ同様、
メキシコロマン派クラシック初期の作曲家なだけあってか、
国民楽派的要素が余り無い。
この曲からも、民族的要素は感じられない。
でも、純粋にロマン派の曲としてはいいと思う。
 
小交響曲(1945)
Sinfonieta
ホセ・パブロ・モンカジョ・ガルスィア
(José Pablo Moncayo García, 1912-1958)
オペラや交響曲、ピアノ曲なども作曲したモンカジョ。
『小交響曲』についてだが、コテコテな民族楽派の作風で、
もろ”ツボ”です。
前部と後部に登場する陽気な主要主題を聴くと、
『ウルトラクイズ』のチェックポイントをクリアした時に流れるBGM
を思い出してしまうのは私だけ?
この曲を聴くと、
民族的な踊りの様子やジャングルの光景が嫌でも頭に浮かんで来る。
 
ネルダの歌
Poema de Neruda
ブラス・ガリンド・ディマス
(Blas Galindo Dimas, 1910-1993)
ハリスコ州聖ガブリエル(Jalisco San Gabriel)生まれ
メキシコシティ(Ciudad de México)歿
メキシコ音楽院(Conservatorio Nacional de Música)で、
ホセ・ロロン(José Rolón)とカルロス・チャベスに学ぶ。
1942年、同校の教授となる。
1947年、同校の校長となり、1961年まで務めた。
作品は、管弦楽曲、室内楽曲、バレー音楽、映画音楽など多数。
『メキシコ4人組』メンバーの一人。
『ネルダの歌』は、一言で言えばエレジー風。
北欧系弦楽曲を彷彿とさせる。
哀愁のメロディは、暖かい国とか寒い国とか、余り関係無いのかも。
そんなに憶えやすいメロディというわけでは無いと思うけど、
心に響いてくるメロディではある。
 
遭遇
Encuentros
サミュエル・ズィーマン
(Samuel Zyman, 1956-)
アルトゥロ・マルケス同様、現役中。
ジュリアード音楽院でも学んでいるらしい。
『遭遇』という曲は、色んな要素がバランス良く取り入れられていて、
この作曲家の才能の凄さをまざまざと思い知らされた。
メキシコ民族音楽、ミュージカル的メロディ、
映画音楽っぽいメロディなど、
印象深いメロディがこれでもかと畳み掛けてくる。
以前どこかで聴いた様な”音楽のデジャヴュ”的要素も感じるのだが、
まさかこの曲を以前何処かで聴いたという事なのだろうか?
バランスの取れた表情の豊かさに圧倒される。
特に中間部の、3:30手前付近で始まるフルートによる
何にもミュージカルに使われてそうな優しいメロディを聴くと、
優れたメロディメーカーだなあとつくづく思ってしまう。
その後、弦楽などによってこのメロディが再現される。
最後は、映画音楽っぽさとメキシコ民族的要素を混ぜた様な感じで
華やかに締めくくられる!!
 
México Sinfónico  JBCC 020.jpg

メキシコ交響楽作品集(MÉXICO SINFÓNICO)
演奏:アメリカ管弦楽団(Orquesta de las Americas)
指揮:ベンハミン・フアレス・エチェニケ(Benjamín Juárez Echenique)
【JBCC 020】1998
 
NAXOS音楽配信サイトで聴く↓
http://ml.naxos.jp/album/JBCC020

《転載終了》
タグ:メキシコ
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2018年06月03日

クラシック音楽 女性作曲家列伝!! - その2

https://ameblo.jp/ssatoloux-1987/entry-12054328041.html
2018年5月24日

《転載開始》

クラシック音楽、女性作曲家列伝の第2弾となります。
前回の記事はこちら↓
クラシック音楽 女性作曲家列伝!! - その1
2015年07月25日

もう3年も前ですね。

前回の記事の後、新たに数多くの女性作曲家の存在を知り、
何回かに分けて紹介する必要性が出てきました。

ジャンルは、バロックから古典派、ロマン派の作曲家までおります。



エリザベト=クロード・ジャケ=ド=ラ=ゲール(1665-1729)
Élisabeth-Claude Jacquet de la Guerre

Elisabeth_Jacquet_de_La_Guerre-full.jpg

フランス・バロック音楽の作曲家ならびにクラヴサン奏者。
楽器職人の家系ジャケ家の出身で、
似たような生い立ちを持つオルガニスト、
クラヴサン奏者のマラン・ド=ラ=ゲール
(Marin de La Guerre、1656年 - 1704年)と結婚したため、
このように長い姓となった。

神童と持て囃されてルイ14世に御前演奏を行い、
それからヴィルトゥオーソとして、
またルイ14世の寵臣として活動を続ける。1684年に結婚。

ジャケ=ド=ラ=ゲールは、
当時の数少ない女性作曲家の一人であり、18世紀においては、
バッハの従兄ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターの力作
『音楽事典』(Musicalisches Lexicon)
においても評伝が載せられるほど名声があった。>

彼女の《クラヴサン曲集》(1687年)は、
フランスで出版されたチェンバロ作品の初期の例に数えられる。

ジャケ=ド=ラ=ゲールの組曲は、
フランソワ・クープランらと違って標題を持たず、
また古風なプレリュード・ノン・ムジュレが開始楽章に置かれていること、
全般的にポリフォニックであることなど、
ルイ・クープランの作風にきわめて近い。

このような特色のため、
かつては「女だてらに衒学者」というレッテルが貼られたが、
近年の古楽器ブームによって
適切な演奏・解釈が試みられるようになった。

いっぽうジャケ=ド=ラ=ゲールは、
フランスにおける「イタリア趣味」の初期の受容者のひとりであり、
アルカンジェロ・コレッリの様式と
フランス人の音楽趣味を巧みに折衷して、
独自のトリオ・ソナタを残している
エリザベト・ジャケ=ド=ラ=ゲール - Wikipedia

悲歌劇『セファールとプロクリ』(1694年)
La tragédie lyrique Céphale et Procris




マリアンナ・マルティネス(1744-1812)
Marianna Martines

Marianna Martines.jpg

オーストリアの歌手、ピアニスト、古典派音楽の作曲家。

父方の祖父はスペイン人の兵士で、ナポリに移住。
父ニコロはそこで育ち、兵士として務めたあと、
オーストリアに移住し、教皇庁大使館に勤務。
イタリアの詩人ピエトロ・メタスタージオとは生涯の友となる。

オーストリア帝国への奉仕とその功績のため、
マルティネスの兄弟たちは1774年に貴族階級となる。

マルティネスは、幼いころから音楽だけでなく、
様々な国の言語の教育、文学を学び、
メタスタージオとは家族ぐるみの交流があった。

マルティネスの家族の住んでいた
ミヒャエル広場の共同住宅の最上階には若きハイドンが住んでおり、
マリアンナは彼から鍵盤演奏の手ほどきを受ける。

また、ニコラ・ポルポラからは声楽を、
ヨハン・アドルフ・ハッセからは作曲を学び、
17歳で作曲した作品はウィーン宮廷礼拝堂で上演された。

その後マリア・テレジアのための作曲家、鍵盤楽器奏者として活躍。

1773年にはボローニャのフィルハーモニー・アカデミー会員の試験で
「驚くべき作曲の精度」と高い評価を得た。

マリアンナとその妹による音楽会では、


ハイドンやアイルランドのテノール歌手マイケル・ケリーなど、
数多くの著名なゲストが呼ばれたが、モーツァルトも頻繁に通い、
彼女と演奏するための四手連弾ピアノ・ソナタを作曲している。

作品は、オラトリオ、ミサ曲、カンタータ、チェンバロソナタ、
チェンバロ協奏曲、シンフォニアなどを作曲。
ウィーン古典派の女性作曲家、マリアンナ・マルティネス|HMV&BOOKS
Marianna Martines - Wikipedia English
マリアンナ・マルチネス - クラシック音楽の風景

カンタータ『初恋』
Cantata Il Primo Amore




マリア・テレズィア・フォン・パラディス(1759-1824)
Maria Theresia von Paradies (Paradis)

Maria Theresia von Paradies or Paradis.png

オーストリアのピアニスト、歌手、作曲家。
幼時に失明した。

モーツァルトの『ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調』は
パラディスのために書かれたと言われている。

パラディスの父ヨーゼフ・パラディスは帝国商務省長官で
皇后マリア・テレジアの宮廷顧問官だった。
よく皇后が彼女の名付け親だと言われるが、事実ではないという。

パラディスが視力を失ったのは、2歳から5歳の間だった。

1766年の後半から1777年の中頃まで、
パラディスは高名なフランツ・アントン・メスメルの治療を受けた。
メスメルはパラディスの症状を一時的に回復させることができたが、
途中で治療を取りやめたため、生涯視力が失われたままとなった。

理由は、メスメルが催眠療法に用いていた謎の楽器
「グラス・ハーモニカ」が人を狂わせたり死に至らしめるという
世間の混乱によって禁止令が発令されたのにかかわらず、
メスメルは禁止令に反して不当にグラス・ハーモニカを
療法に使い続けたというスキャンダルとも、
パラディスの障害者年金の含み損とも言われる。

このため、メスメルはウィーンを追放される事になった。

パラディスの活動はウィーンだけに留まらず、
パリ、ロンドン、スイス、プラハ、ドイツ各地など演奏旅行を実施。

1785年に開校した、
ヴァランタン・アユイ(Valentin Haüy)による盲学校の設立を援助。

1808年に音楽学校を設立し、
パラディスが亡くなるまで授業を続けた。

後半生は、演奏よりも作曲活動の時間が増えており、
オペラ、メロドラマ、カンタータ、ピアノ協奏曲、ピアノ曲などを作曲したが、
オペラ、メロドラマ、ピアノ協奏曲など、現在失われているものが多い。

彼女の最もよく知られた作品『シチリアーノ』は、
その発見者とされるサミュエル・ドゥシュキンによる
贋作であるとの指摘がある。
マリア・テレジア・フォン・パラディス - Wikipedia

ヴァイオリンとピアノのためのシチリアーノ




カテリーナ・ツィビーニ=コツェルフ(コジェルフ)(1785-1858)
Catherina Cibbini-Kozeluch (Katerina Koželuh)

Catherina Cibbini-Kozeluch.png

ボヘミア系のオーストリア人ピアニスト、作曲家。
ベートーヴェンやシューベルトに影響を与えたといわれる、
作曲家のレオポルト・コジェルフの娘としてウィーンに生まれる。

父やムツィオ・クレメンティに音楽の手ほどきを受ける。
主に、ピアノ曲を作曲。
Catherina Cibbini-Kozeluch - Wikipedia English

ピアノのための6つの円舞曲
Six valses pour piano-forte, op. 6




マリー・キエーネ・ビゴー・ド・モローグ(1786-1820)
Marie Kiéné Bigot de Morogues

Marie Bigot.jpg

フランスはアルザス地方のコルマール生まれの、
ピアノ教師、作曲家。

M.ビゴーとの結婚後の1804年、
ウィーンに移り住んで5年をその地で過ごす。

彼女は鍵盤楽器の演奏に長けており、
ハイドンの前で演奏し、彼をしてこう言わしめた。
「おお、我がいとしき子、これは私が作曲した曲ではない。
作曲したのは君だ!」

そして彼女が演奏した楽譜にこう書き記した。
「1805年2月20日、ヨーゼフ・ハイドンは幸福であった。」
また、彼女はサリエリとも親交を結んでいる。

ビゴーの夫はアンドレイ・ラズモフスキー伯爵の司書を務めており、
その縁により彼女はベートーヴェンと親しくなる。

ベートーヴェンは彼女の演奏を評価しており、
2人の関係はビゴーが作曲されたばかりの
「熱情ソナタ」の原稿を見ながら、
それを初見で演奏してみせた逸話で知られる。

これにいたく感激したベートーヴェンは彼女にこう言った。
「私がこの曲で表現したかったことはそうではないのですが、
続けてください。完全に私の思ったとおりでない方が、
より良くなりそうですから。」
彼は熱情ソナタの草稿を彼女に捧げた。

1808年、ベートーヴェンが、マリーと、
3歳になる彼女の娘のカロリーヌ(Calorine)
を誘って行こうとしたのを誤解し、彼女がこれを拒絶した事に対し、
ベートーヴェンは彼女と彼女の夫に謝罪の手紙をしたためている。

ビゴー一家は1809年にパリへと戻った。
マリーは作曲、レッスンを行う傍ら、
ベートーヴェンの楽曲をパリの聴衆に紹介することに尽力した。

ビゴーは1816年には、
パリでファニーとフェリックス・メンデルスゾーンの兄妹にも教えている。

彼女はパリで結核のため34年の生涯を閉じた。
作曲家としてはソナタや練習曲が知られている。
マリー・ビゴー - Wikipedia

練習組曲
Suite d'etudes




マリア・シマノフスカ(1789-1831)
Maria Szymanowska

Maria_Szymanowska.jpg

ポーランドの女性ピアニスト・作曲家。

とりわけ1820年代において、
ヨーロッパ全土で精力的な演奏旅行を行なった
19世紀のポーランド人ヴィルトゥオーゾの先駆者であった。

その後はサンクトペテルブルクに永住し、
ロシア宮廷のために演奏活動や作曲活動、
音楽教育に携わるかたわら、有力な文芸サロンを開いた。

ピアノのために演奏会用練習曲や夜想曲を作曲した
最初のポーランド人でもあり、
「ブリヤン様式( stile brillant )」による作品は、
ショパンを予告するものとなっている。

フランク派ユダヤ人をルーツに持つ家庭に、
マリアンナ・アガタ・ヴォウォフスカ(Marianna Agata Wołowska)
としてワルシャワに生まれる。

彼女の先祖には、ヤコプ・フランクの助手を務めたといわれる
サロモン・ベン・エリヤ(Salomon Ben Elijah)がいた。

幼年期や初期の音楽教育については何も知られていないが、
アントニ・リソフスキ(Antoni Lisowski)や
トマシュ・グレム(Tomasz Gremm)にピアノを、
フランチシェク・レッセル(Franciszek Lessel)と
ユゼフ・クサヴェリ・エルスネル(Józef Ksawery Elsner)、
カロル・クルピィンスキ(Karol Kurpiński)に作曲を師事したらしい。

1810年にワルシャワとパリで最初のリサイタルを開き、
同年にユゼフ・シマノフスキ(Józef Szymanowski)と結婚した。
1820年に夫と離縁するまでに3児を儲け、
その後はみな自分で引き取った。

シマノフスカがショパンに対して影響力があったのかについては、
研究者の間で意見が分かれるが、
シマノフスカの「演奏する作曲家」としての活動は、
ショパンのそれにはっきりと影を落としているだけでなく、
19世紀ヨーロッパの、
自分の演奏能力によって作曲能力に磨きをかけた、
ヴィルトゥオーゾ兼作曲家の幅広い流行のさきがけにもなっている。

シマノフスカは、演奏家としての地位や自分のサロンを通じて、
当時の高名な芸術家と強いつながりを持っていた。
たとえばルイジ・ケルビーニやジョアッキーノ・ロッシーニ、
ヨハン・ネポムク・フンメル、ジョン・フィールド、ピエール・バイヨ、
ジュディッタ・パスタ、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ、
アダム・ミツキェヴィチらと親交があった。

1831年死去。コレラによるものと思われる。

作品はピアノ独奏曲が数多いが、ほかに歌曲や室内楽曲もある。
マリア・シマノフスカ - Wikipedia

ポロネーズ へ短調
Polonez f-moll




アンナ・マリア・レオポルディーネ・ブラヘトカ(1809-1885)
Anna Maria Leopoldine Blahetka

Leopoldine_Blahetka.jpg

オーストリアの、ピアニスト、作曲家。
父は、数学と歴史の教師、
母は、フィスハルモニカ(Physharmonica)の奏者、母方の祖父は、
作曲家アンドレアス・トレーク(Andreas Traeg)であった。

母からピアノの手ほどきを受ける。

自作演奏会用の作品の最初の作曲は11歳の時だった。

ヨーゼフ・チェルニー(Joseph Czerny)に学んだあと、
フリードリヒ・カルクブレンナー(Friedrich Kalkbrenner)、
イグナーツ・モシェレス(Ignaz Moscheles)、
カタリーナ・ツィビーニ(Katharina Cibbini)にピアノを学ぶ。

16歳の時、ドイツで演奏旅行を行うが、
その演奏を聴いたロベルト・シューマンは非常に感銘を受けた。

1828年、ウィーンでのニッコロ・パガニーニの演奏会で演奏し、
彼から賞賛された。

1830年3月22日、
オペラ『強盗と歌手』(Die Räuber und der Sänger)が、
K・K・宮廷劇場(K. K. Hoftheater nächst der Burg)
(後のブルク劇場 Burgtheater)で初演された。

良い気候を求めてブローニュ=シュル=メールに移り住むが、
母を伴い演奏旅行を続けた。

作品には、オペラ、ピアノと管弦楽のための作品、
室内楽作品、ピアノ曲、歌曲などがある。
Leopoldine Blahetka - Wikipedia Deutsch

ポロネーズ
Polonaise op. 19


《転載終了》
タグ:女性作曲家
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